塞翁が馬

テレビでN.シャマランの「サイン」見ました。このひとの映画はおもしろいですね。その独得のファタリスムも興味深いんですが、余韻は塞翁が馬、なにより笑いのセンスが性に合うみたい。ツボが近い。不慮の事故で家でいちばん聡明な人間(奥さん)を失って、残されたひとびと、がなぜか粗忽、おおまじめでおもわせぶりに緊張した街の空気も過剰で、憐れよりもしずかにひそかに滑稽で、どっかどっか可笑しいし、通奏低音のごときトーンが、物語とはまったくちがうレベルで一定して明るい(明るいっても日本のお笑いにあるみたいな暴力的に悲壮なおかしみとかでなく)。ウディ・アレンなんかもそうかも。そういう通奏低音みたいのには、それぞれのひととなりがでるのかもしれん。シャマランのは独得のオプティミスム。宇宙人さえどっか粗忽でした。
こういうギャップというか、主旋律と通奏低音のように、なんかぜんぜん別のものが鳴ってて、ひとつの世界ができているものというのは、なかなかに楽しくて、奥深い。階下の姑さんがいま「異邦人」を読んでいて、こないだちょっと話をしたときに、この話もかなり見た目とちがうなあ、と思った。
主人公はなにと闘っているか、ってのがおもしろいし、それを見つめる作者のまなざしがやはりおもしろい。