ユーフォーテーブル、すごくないですか

 

 あ、すいません、また鬼滅の話です。でも今日はufotableの話をしようと思います。

 わりとアニメは見るほうだと思うんですが、ufotableものはまったく見たことがなかったんですよね。なんでだろ。ゲームやらないせいかもしれませんね。Fateシリーズも刀剣乱舞のシリーズも知らずにきた。だから私にとってufotableというのは、一にも二にもアニメ『鬼滅の刃』をつくっている会社です。

 アニメから入って、あとで原作を読んだから、特にそう思うんでしょうが、ufotable、異常なまでに忠実に吾峠さんの『鬼滅の刃』をアニメにしてますよね。読み込み方が、ハンパないですよね。えっ、こんな小さなコマのこんな手書きの息遣いまで拾いあげてたの? アドリブじゃなかったの?ってその忠実さにめちゃくちゃ驚きます。

 「えー、会っただろうが、会っただろうが、お前の問題だよ、記憶力のさ」

 「えええーッ、何折ってんだよ骨、折るんじゃないよ骨、折れてる炭治郎じゃ俺を守りきれないぜ、ししし死んでしまうぞ」

 「どーすんだどーすんだ死ぬよこれ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬヒィー」

 「嘘だろ嘘だろ嘘だろ」とか

 まったく一言一句原作どおりですよね。「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」とか増えそうじゃないですか、「死ぬ」が。でも増えないんです。いや、これをきっちり説得力のある発言にする声優の下野紘さんもすごいんですけどね。思い出しただけでおかしい。

 いや、セリフを忠実に再現すれば、原作に忠実って言いたいわけじゃないんです。実際、それにこだわりすぎて、すっぽり魂が抜け落ちてるアニメとかドラマってよくあるじゃないですか。

 ufotableのつくり方の面白さって、徹底的に原作を読みこんで、その解釈を画できっちり見せてくるところにあると思います。それって当たり前っちゃ当たり前じゃないですか、でもこう見事にやってのけられると、おお、ってなっちゃう。

 

 たとえば第5話に、最終選別を突破した炭治郎が、鱗滝と禰豆子の待つ狭霧山へと帰還する場面があります。

f:id:yokkobukko:20210223111857j:plain 『鬼滅の刃吾峠呼世晴著 集英社刊より

 苛酷な最終選別からの帰り道、満身創痍で疲労困憊の炭治郎は、杖にすがりつくようにして一歩、一歩ってなんとか前に進んでるんですが、ついに「支給服すら重い」って路上に倒れ込んでしまう場面です。

 ちなみに「最終選別」というのは、鬼殺隊に入るための選別試験なんですが、実態は鬼がうようよいる山で七日間生き抜いたら合格、という苛酷なサバイバルゲームです。実際、炭治郎含めた生き残り五人を除けば、このたびも二十人近くいた志願者がみな命を落としています。狭霧山において未熟な炭治郎を鍛え直し、技の真の体得へと導いた先輩剣士の錆兎と真菰すらも、昔、この選別で命を落としています。

 

 鱗滝さんが迎えにくるんだろう・・・と思ったんですよね。

 だってわざわざ道に倒れるところが描かれるわけですから。それには意味があるはずじゃないですか。

 第2話で義勇からの手紙を受け取った鱗滝が、入門志願者である炭治郎を迎えに山を下るシーンがあるんです。たぶんそれが頭にあったんですね。きっと、倒れた炭治郎を鱗滝さんがピックアップするんだろう、次のシーンは温かい囲炉裏のそばかもしれないぞ、ってほんと、そんなふうなことを一瞬のうちに想像したんですね。

 ・・・誰も来ないし、なにも起こりません。炭治郎はしばらく、そこに倒れていて、それから、また自分で起き上がって、よろよろ歩きだします。

 !? 

 もう鱗滝さんは助けにこない。そういう次元に炭治郎はいったんだなあという感慨かな、が湧いてきて、うわ、すごいシーンだな、としびれました。

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 実はこのシーンには、めずらしくアニメならではのカットが挿入されています。原作には杖をついてひとり狭霧山に帰るくだりはあるんですが、炭治郎が道に倒れ込むカットはないんです。アニメならではの演出なんですね。ほんと、短いカットですが。的確さにしびれませんか?! ・・・こういうとこ、まじで舌を巻きます。

 アニメーションの醍醐味っていうんでしょうか。ほんと、ただこれだけの挿入なのに、シーンの輪郭がぐっと強調されるというか、この場面の意味がぐっと浮かび上がってくるんですよね。ufotableのアクションがいちいち引き立つのって、こういう深い読解に基づく演出があるからだと思います。

 私はこのシーンみるたび高畑勲のアニメ『母をたずねて三千里』の最終二話で、旅の果てに、荒野で倒れ込むマルコ思い出すんですが、その話はまた別の機会にします。

 テレビシリーズ、劇場版ともにアニメ『鬼滅の刃』の監督は外崎春雄さんです。

 すごい人ですよね、神でしょうか、たぶん、神だと思います。

 劇場版における煉獄と猗窩座の対決シーンなんて、ほんとにもう原作をどれだけ読み込んでつくられてんのって思います。間違っても補完じゃないんです、たぶん吾峠さんの頭の中でコマ送りで飛んでった部分を復元してんですよね。このコマとこのコマのあいだにどんな攻防があったら、煉獄はこの状態になるんだって、推理して、検証して、それを画にしてったんだと思うんですよ。それって、それって楽しすぎませんか!?

 

 ああ、また映画に行きたくなっちゃいました。

 ああ、絵コンテ欲しいなあ、映画版発売されないかな。欲しいなあ。