第二部

それにしてもお客さんよく入った。舞台の上からは最前列のひとの顔しか見えないが、解説をめくる音が響く。うるさいけど、それだけみんなついてきている、ということで、引き込まれて聴いてくれているということだから、裏腹で嬉しい。
いつも思うが休憩あとってほんとに腑抜けになっている。けっこう気をつけてるんだけど、テンションが緩む。二部はじまってしばらくへんな感じだった。36曲目くらいからようやく一部のいいときくらいまで集中してくる。って、もうあと少ししかないよ。ユダさん死んでしまって、ピラトによる裁判はじまって、バーラバーム!!うまく入った。今日はよかった。
そして49曲目、フラウトトラヴェルソ、すばらしい。その一言。なんでなんでもう聴きすぎて知りすぎるくらい知っている旋律なのに、こんなにはっとさせられるのか。楽譜じゃないんだな、音楽は、ほんとに一回きりなんだ。ソプラノアリア、もちろんすばらしいのだが、張り合うというか、よりそうというか、これはもうふたつの声だ。気持ちが高ぶる。わたしもこんなふうに歌わなくては、と思う。なんかやみくもに思う。
音楽としてみたら、こののち、われわれ合唱団は物語に飲み込まれた、指揮者のK泉先生とともに、自爆、というか制御を失ってってしまう。んだけど、どうだろう、聴いていたひとはどう思っただろうか。物語に入っていっての失敗は失敗じゃなかったかも。いや、よくわかりません。
このひとはほんとうに神の子だったんだ、というところは、戻れるなら、戻ってやり直したいけど。でもあれが流れだったのなら、それでよしとも思う。
終曲、アンコールに用意したのは、Ecce quomodo moritur 見よ、このように亡くなるさまを、というモテット。歌詞はほとんど本編、終曲とかぶっている。
これっきりで歌えない、という心で歌った。本当にほんとうに会場がしーんと静まりかえっていて、ひとつになった、うまくいったんだな、と感じた。
ロビーで来てくれたともだちに会えた。みんなの顔がほてっていて、客席には客席の体験があったんだ、と思った。そっちは体験できないから、推し量るしかないんだけれど。双方向から、ひとつのドラマを見たんだな。
遠いところを来てくれたひと、ほんとうにありがとうでした。
もうずっと夢心地。ゆっくり現実にランディング・・・できるだろうか。