第一部

15時、五分押しで本番開始。一曲目ほどよく体ほぐれ声よく出ている。集中も切れていない。これは調子いい出だし。第一部はほんとに調子よかった。ときどき走りもしたけど、流れのある走りかただった。のってきて、早くなっていく。先生も楽団も客もみんなを音楽が、音楽そのものが引っ張っていく。驚きだったのはエヴァンゲリストのM越さん。リハとは別人だ。実にじつにみずみずしい、感情表現溢れる歌いっぷりで、感激。なんとこのひとはこの三年でうまくなったのだろう。マタイの主役はやっぱりこのひとなのかもしれない。そしてイエスのO原さんがいい。いやO原さんのイエスがいい。神々しいのに、温かい。なんて温かいイエスなんだ。ゲツセマネの夜、オリーブ園はもともと好きなとこ。リハーサルのときは、神=父に語りかけるとこがよかったが、本番は、弟子に語りかけるとこに、はっとさせられるパッセージがいっぱいあった。なんで起きてられないの、というとこもいいが、今日一番ぐわっと心掴まれ、揺さぶられたのは、友よ、来たのか、というところ。ローマ兵つれてやってきたユダに語りかけるとこです。ここの温かさはなんだろう、不思議いっぱいですよ、もう。同情なのか、それともそれさえもつつみこむような慈愛なのか、バッハのつけたこの音楽はなんだ、すごいぞ。今日のO原イエスの最高の場面だったとわたしは思う。もうすっかりここでやられて、物語に入り込んだ瞬間でした。
この時点で、ゲツセマネでのイエスの苦悩、葛藤にいちばん近いところで呼応しているのはこのユダなんじゃないか、と思う。ほかの連中は目覚めていられなかったわけだし。ユダは苦しみまでは共感できたんだけど、赦しは信じきれなかった。
んで、ここで一章をしめくくるコラール、いきなり別次元の心境へ立ち戻る。ここにほんのすこし隙が生まれたのかな。うおー、ずれている、ずれていく、というかめちゃめちゃ走っている。第一と第二と、ほんのわずかにフーガになっちゃっている。休憩。