うでぃあれん

恋するバルセロナかな、昨日テレビでやっていた。途中から見たが、おもしろかった。なんでしょうね、ウディ・アレン。世界の町から教訓シリーズかしら。ロメールもそういう感じあるけど、教訓つか、パラボルつか、たとえ話つか、寓話つか。もうへんてこなひとばっかりで、へんてこな展開なんだけど、ああ、あるある、と共感する。このひとの映画に出ると俳優が輝くよな。あの理想の旦那の役のひととか、もう絶妙なんだ。ペネロペ・クルスもはまってたな。でもなんつってもスカーレット・ヨハンソン、あのひとの味はなんだろう、あのひとにしか具現化できないアメリカ娘なんだよな。情がないわけじゃないし、育ちが悪いわけじゃない、心がねじれているわけじゃない、個人主義が徹底しているだけなの、だぶん。あんだけ自己中心的でいて、自分探しとかしているとこが、もう究極に笑えるのだが、ひとの心を屈託なく踏んでいく。そこに世界があるのよ、その足の下によーという。そういう無神経さに、違和感あるんだけど、なぜか嫌じゃないとこもあって、依存してない図太さ、そういうのがいいんだ、かっこいいんだ、いやイカしてるんだ、なんか憧れる、と思う自分もたしかにいる、わたしの中に。価値観が引き裂かれるとこです、正直。ER見てるとき、このドラマは日本で無理だろう、日本の役者にこんな神経切れた感じでひとの心は踏む個性は演じられんだろう、てかそういう人々のいる現場はリアルじゃないだろうと思うことがいっぱいあって、ああ、これが個人の国の個性なんだな、と思ったものだけど、そういうものがこうスカーレット・ヨハンソン全体に沁み渡っている。で、そういうのを相対的に描けるとしたら、ヨーロッパのひとびとは(この映画の場合はスペイン)は、そこまで個人主義が行き渡ってないのかな、と意外に思った。