ファン・ゴッホ

yokkobukko2010-09-20

ファン・ゴッホ―自然と宗教の闘争― 圀府寺司著(小学館
科学的アプローチが持ち味のれっきとした学術書なのにエモーショナルに読んだ。牧師の息子のゴッホが、ながらくコミュニティを呪縛し支配してきた牧師文化から、個人として逃れ、画家に「改宗」し、自然主義イデオロギーに急速に傾倒するんだけど・・・という大筋。最後まで読んで「行人」の一郎さんが思い出された。とりわけ一郎さんの最後の日々をつづった友人の手紙。風景を観察し、あれもこれも自分の所有だとか言いはじめるあたり。うろおぼえで、もいっかい読みたくなった。すごく近いことを言っている気がする。

大学入って一年目、一般教養っつう、カルチャースクールみたいな、名前からしてゆるーい講義目白押しのカリキュラムのなか、なに、大学、楽勝じゃん、みたいな気分になりつつあったときに、偶然出会った美術史。おそろしくおもしろかった。はじめて大学来たという気がした。それまで感覚でのみ絵とつきあっていたナイーブな感性の子は、絵って、本みたいに読めるものなんだーと、新たな楽しみをおしえられた。そしていまだに図像学が好きだ。大講義室いっぱいになる人気授業(いや、だんだん口コミで膨れ上がっていったんだった)で、講師は当時三十手前、オランダ帰りの若者で、颯爽(!)というのとちがって、やたら野球強そう、やたらボール飛ばしそう。がたいよく、声通り、大学の上下関係とか無視むしという豪気な半面、マンガに出てくるメガネとかハカセとかの口調で、ずばずばっと、斬新な芸術論述べる。きれるという印象。素人ながら、こどもながら、このひとすごい、とわかった。すぐさまファンになった。おそらく大講義室におしかけた学生全員ファンだったんだろう。
思えば、Bはわたしと知り合う前から先生と親しかった。それでBと先生はデキているとかいう噂もあった。というかわたしが流したりしていた。それで思い出したが、先生が親しい生徒を(いや、思えばたぶん生徒全員を)みな呼び捨てにしていたのが、最初、すごく驚きだった。わたしのゼミの先生なんか、みなたおやかに男女ともに「君」とかつけていた、たしか。最初、Bを呼び捨てにしていたので、「できてる」と思ったんだった、たしか。すぐに自分も呼び捨てにされて、ちょっとときめいたものである。
そうやって、なんとなく親しくなって、何年も経って、ここしばらくご無沙汰ですが、いつのまにか、相手のすごさが当たり前になるというか、忘れちゃってた。それでこれ読んで、ひさびさに思い出した、このひと、すごい。講義受けたくなった。