魔の一日の真相

「どの電車も今日は走ってないよ」と窓口のおじさんが言う。な、なんと?明日15日は聖母被昇天の祭日だからそういうこともあろうかと思ったが、なんで?「日本にはストという言葉はないかもしれないが、フランスにはストというものがあってね」などとおもろいことを言うおっさんである。愛想笑いのかけらもないのに、どこかユーモアのかおり。表情に脳梗塞の後遺症らしきものがうかがえるが、ゆっくりクリアーに話してくれるので、ありがたい。こっちも半ば真っ白になってんのに「日本にもストくらいあります」とうっかり乗ってしまう。「あ、そうなの?でもクビでしょ、そんなん」まあ、いま厳しいですしね、って、そんな場合じゃないよ、なんか代替手段を考えないと、とにかく上りも下りもいっさい電車は走ってないらしい。タクシーはどう思う、高いかしら?と訊くと、100はかかるという話。自転車は乗せられないかしら?と訊くと、問題外だという。いざとなったら自転車は駅に置いていくしかない。オタンに二晩ホテル予約してるのだから、キャンセル代やら、これから新たにホテルを探しその金を払うことを考えると、そっちのほうがましだ。自転車は帰り道にピックアップしようとプランを話すと、おじさんも苦虫かみつぶしたみたいな顔で、「ふんっ」と言いながら、リストを出して、片端から電話してくれる。が、5分後、タクシーは見つからない、と言う。なんで?明日が祭日なんで、月曜まで橋をかけて休みを取ってるとこが多いらしい。そんな遠くまで行きたくないというのもあるかもしれない。とにかくリストは全滅。うーむ、八方塞がりだ。
そのうちにほかの乗客もやってきて、窓口に行列ができる。見ていると、手持ちのチケットを払い戻して小切手を貰う客、別の切符に変えてもらう客、いろいろだ。みな最初は険悪な顔で窓口に迫っていくのだが、おじさんの苦虫顔と、その実務に満足し、笑顔で去っていく。なんだろう、このおじさんは。最初真っ白だったが、だんだん落ち着いてきて、地図を広げ、どうするか考える。できそうなことは自転車でどこかへ移動する、たとえばモルヴァン山地を走るのは楽しそうだ、最悪そういうことになるだろう。しかし今日はもう足売り切れちゃったな。おじさんの手腕で長かった苦情の行列もだいぶ減り、みなそれぞれの解決策を見出して駅から去っていく。
残ったのは我々と、犬をつれた初老の巡礼夫婦。たがいに同じモルヴァンの地図を広げ溜息。巡礼夫が一時間後にモンバール行きのバスが出ることをおしえてくれる。それがどこだかさっぱりわからぬ私は、手が見つからなければ、それに乗ろうかな、などと答える(あとでつじつまがあったがTGVは走っていたのだ。モンバールからTGVでパリへ帰る手もあったわけだが、このときは先へ進むことしか考えてなかった)。
オタンまでが遠すぎるなら、たとえばソーリューまでタクシーで行って、ソーリューでまた改めてタクシーを拾ったらどうかな、と窓口のおじさんにまた相談。苦虫をまとめて噛み潰したみたいな顔で、うむむと唸る。「問題は距離じゃないんだよ」と言いながらも、こっちのせっぱつまった感じに心動かされた様子。「もしかしたら中心街のタクシー乗り場までいけば、流しのタクシーに会えるかもしれない、会えないかもしれない」よし、だめもとで行ってみるか、と出発しかけると、おじさんが窓口からこっちを呼ぶ。いつの間にか同僚の若造も増えている。「行ってもいいって奴がいたよ、140だと言ってる」というから個人の車かと勘違いし、「ひとり140?」「まさか」とちょっと笑顔。それしかないんだ、よろしくお願いします。それなら自転車は、安全なとこに預かってやろう、とおじさん。おじさん情報によるとストが明けるのは月曜午後、オタン発一番の電車が2時50分、念入りに切符の見本を出し、そこに「おみやげ」と書いて、渡してくれる。駅舎の倉庫を開け、自転車を停め、それに「月曜取りにくる」とメッセージをつけてくれる。これでよし、じゃ、月曜に。