マタイにはマタイの

yokkobukko2010-05-16

預言の成就が中心に据えられ、そこにクライマックスが来るヨハネとちがって、マタイの受難曲というのはもう少し多義的、多層的で、同時に多くの声が聴こえてくるので、そのときの気分で、やけによく聴こえる声があったりして、ひどく感傷的に揺さぶられたりする。今日は40曲目のコラール復習、その後、物語としてはユダの後悔、自殺があって、有名なピラト邸での尋問がはじまる。ヨハネとちがって、ここはけっこうあっさり淡々と進む。尋問に答えず、卑屈になるところもないイエスを前にピラトはこのひとはどういうひとだろうか?と思う、というくだりのあと44曲目のコラールが入ってくる。今日は気分的に、このコラールに感情移入してしまった。このあたりのコラールは粛々と悲惨が増し、こののちそれを極める物語を傍聴しながら、イエスを応援したい、わたしはここにいて、あなたのやっていることの意味をわかっていますとアピールしたい信者の気持ちだろうか。このへんのコラールは同情心に満ちていて、穏やかで哀しげで、イエスに寄り添っていく感じがある。こののちのコラールは一気に精神性が高い次元にのぼってって、慈愛に満ちた、穏やかな穏やかなものになっていく。そこまでのメンタリティにはまだついていけない。このへんで心を揺らして歌うのが好きだ。いまのところ。