清志郎を考える

yokkobukko2009-11-29

映画祭で、清志郎が出演した映画が三本上映され、ゲストの竹中直人高野寛がなにか演るというので見にいった。短編「U2」と「サヨナラCOLOR」とドキュメンタリー「不確かなメロディ」。竹中と高野君は清志郎を偲んで、アコギで「忙しすぎたから」と「サヨナラCOLOR」を演った。どちらも清志郎の曲でも歌詞でもボーカルでもない。なんだろう・・・本人たちが、特に高野くんのような迂闊ではないひとがそれに気づいてないとは考えにくいので、清志郎に聴いてもらいたい歌を歌ったのだろう。清志郎の歌はうたえない、うたいたくない、聴きたいから、ということかもしれない。実のところはよくわからない。
映画では恋愛として描かれてたけど、もともとの、サヨナラCOLORという歌は、恋愛の歌ではないと思う。これを聴いて、連想されるものはエンケンの「不滅の男」「夢よ叫べ」「ラーメンライス」、あるいは湯川潮音の「はだかの王様」で、自分の半身のような友か、あるいは自分自身(たぶんそのひとは分かれ道でまよっているか、道を見失いそうになっているか、まけそうになっている)に、魂ふりしぼって声ふりしぼって、もしかしたら鬼の形相で、行け行けと叱咤する、しんどい歌だと思う。たとえばバンドを抜けてく仲間に歌ったとか、そういう男くさい逸話があったりしてね、と思わせるような。竹中の歌を聴きながらも、目前に浮かんでくる像のはエンケンで、清志郎に捧げるには不似合いな気がする、とそのときは思った。最後のドキュメンタリーを見て少し意見が変わった。優しいばかりのひとのように思っていたんだな。
車で旅をしたくなった。つか、ツアー。