猛暑を凌ぐ
猛暑。掃除しただけで汗だく。シャワー浴びて、少し落ち着く。読書の行方など書いておく。あいかわらず須賀敦子をぼちぼち読んでいる。なんかイタリア、トリエステに行きたくなった。行って寂しくなりたくなった。
わたしは旅が好きなんだろうと思う。特に外国を旅するのが好きだと思う。前にそのころ仲の良かった友人に意地悪い顔つきで「それは家事しなくていいからでしょ」と言われたことがある。当たってはいるけど、当たりきってはいない。旅に出かけると、きまって、身を斬るような寂しさを味わうことになる。そこに私に関わりのない営みがあって、そこで生活をしている人たちがいて、その日常から自分は完全に疎外されている、余所者として。そういう、たぶん本来そうなんだけど、忘れていることを思い出す。潜在していた感性が表に出てきて久々に本来の活動をする。
日本より外国、といったのは、日本は寂しさが大きすぎて、その効果にちょっと参ってしまうからだ。言葉がわかって、馴染み深い生活風景があるだけに、そのどこにも自分の居場所がないのが、応える。夜、電車から見える家々の灯を眺めながら、たまに蛍光灯の下のテーブルに人影が見えたりする、そういう明るい部屋を眺めながら、そのどこへも「ただいま」と帰っていけそうなのに、帰っていけないのが、やけに寂しい。そういうの最近はあまりないけど、やっぱり、たまに油断してるとふっと胸を衝かれて、やられた、と思う。
須賀さんの本にでてきたウンベルト・サバの詩を読んでいて、そんなことを思いだした。以下は引用(たぶん須賀さん訳)
……じぶんの
そとに出て、みなの
人生を生きたいという、
あたりまえの日の
あたりまえの人々と、
おなじになりたいという
のぞみ。
……この町はずれの
新道で、ためいきみたいに
はかないのぞみが、ぼくを
捉えた。