湿っていて且肌寒い朝

yokkobukko2008-06-22

日曜の朝ですな。こう湿度が高いと、大気が重く、山鳩のごろごろいう声も、水気を帯びて下降していく感じ。読書のゆくえ。「トリエステの坂道」「ヴェネチアの宿」読んだ。「ユルスナールの靴」は途中。どれも短編集で、トイレやら電車のなかやら、ベビーシッターの途中やら、ばらばらに気の向いたときに読んでいったので、どこにどの短編があったか、とっちらかってしまったが、どの本にもいくつか非常に印象深い作品があった。須賀さんのような本を読んでいると、やはり、生というのは永遠であり、一見、過ぎ去った時間であっても、どの時間も実はどこかに永遠に保たれていて、理論的にはアクセス可能、というか、わたしという主観は縦横無尽に時をとびまわって、その時間を再訪することができるんだな、やはりそれは可能だったんだな、と思える。そういう気分になる。偶然に教会でであったカラヴァッジョの「マッテオの召出し」と、ローマのあるまっすぐな小道と、ある作家(ギンズブルグ)と、過去にちらばった記憶が繋がる。繋げているのは須賀さんという人なんだけど、それがなんの関係もなかったわたしにまで繋がるのは、その繋がり方、道の開通のさまを、わたしもまた個人の経験として持っているからなんだろう。そういうの知ってるよ、と思うからだろう。また感動までするのは、そこから一歩、わたしのやらなかったことを須賀さんが踏み込んでやるからなんだ。そして、それが洞察、そして解釈というやつなんだ。