孤児院ミサ篇


モーツァルトKV139、通称「孤児院ミサ」は当時孤児院の一部として建てられたレンヴェークの教会の落成式典のために書かれた曲。その曲をその教会でやろうというK泉先生の(しぶい)宿願がかなう日、それが今日です。Bちゃんを送ってしんみりホテルに戻ってくると、もうみんなロビーに集合している。いきなり気分が変わる。そうだ、いよいよなんだ。レンヴェークはミッテの次の駅だからそう遠くはないけれど、みんなで大型バスで乗り込む。レンヴェーク孤児院教会、ガイドブックの写真でも見たけれど、外見はぼろ、なんとなく廃れた感じが漂っている。入口までここの合唱団の指揮者のPさんが出迎えてくれ、教会の内部を案内してくれる。終始笑顔、ものすごく感じのいい人だが、人の話は聞かない感じ・・・かな。中庭があって、いい感じのところだ。礼拝堂に入って息を呑む。外と中ではえらいちがい。ひとことで言えば美しい。白地に金の装飾はロココ調といえばロココ調なんだけど、清楚で上品で、統一感がある。聖人の像は音の響きを重視してみな木製なんだそうだ。なによりまだ字も読めない、小さな子供たちの心を躍らせるような、かわいらしさがある。
こういう知る人ぞ知るというところにさえ、見るべきものがたくさんある。ヨーロッパってやっぱりこわい。

さて観光気分はすぐにおしまいになり、思い出すのもおそろしいリハーサルのはじまりだ。K泉先生音取りのためにオルガンを作動させるが、さすがに本場で長らく番を張ってきただけある、堅物というか、誰にでもあっさり身をまかすようなやわなやつではない。じじいなのかもしれない。先生、すごい不協和音出てます!こんな調子っぱずれな音にあわせてうたうのはプロにだって難しいはず。しかも礼拝堂全体が楽器になるようにつくられているせいか反響がすごい。なおかつバルコンのどこにいるかによって、音が戻ってくる時間が微妙にずれるらしい。途方に暮れるとか、路頭に迷うとか、とにかく、全員がまさにそういうところへ追い込まれている。K泉先生はパニック気味、というよりまさしくパニック状態だ。こういうとき、とばっちりはいつもソプラノに行ってしまう。ソプラノ陣萎縮して、ますます声がひきつります。ううう、悪い空気が流れるどころか重々しくとぐろを巻いてますよ〜と、うろたえていたところに、ぽつりぽつり現地の楽団のメンバーが現れはじめ、みんな少しづつ平常心を取り戻す。他者の介在がポジティブに機能することってあるんだな。
さてこの現地の楽団が、思いがけずへっぽこというか、上手じゃない。ときどきずるっとずっこけるような、素っ頓狂なへっぽこぶりを披露してくれ、これが味というか、ちょうど「のだめ」で千秋さんが振りはじめたばかりのマルレみたいな、それってネタじゃねえの?って感じの笑いを提供してくれる。よくいえばアットホームな感じだ。そのくせK泉先生のアレグロに「モーツァルトアレグロはもっとゆっくりだ」とか減らず口を叩いている。っつうか弾けないんじゃん、ぜったい。こっちもいいかげんへっぽこだから、へっぽこ対決だぞ。リハーサルも終わりに近づいたころ、ようやく管楽器到着。いかにも急遽かき集められた風のかわいい若造が3人。またしてもぶっつけ本番という雰囲気になってきた。
本番前中庭横のトイレに降りるとにわかに大雨。と思うまに止んでいく。
予定どおり4時本番開始。下の様子はさっぱりわからないが、きっと誰もいやしない。いいんだ、とにかく歌うんだ。うーん、いきなりやってきたティンパニーすごいな、今日生まれてはじめてその楽器見たんじゃないかな。めがねの度が合わないのかな、ときどき楽譜に顔を近づけている。この教会ほんとに白いな、縁取りがみなきらきらしてるな、左の側廊から光が差してくる、少しずつ自分のなかの音楽に入っていく。ああ、なんか贅沢だな。すうっと音楽がやんで、はい、おしまい。
みんな脱力。演奏はへっぽこだし、合唱もまだまだだけど、なにかこれでいいんだという気になった。演奏の終わりとともに下から拍手。ザルツのときのように大勢ではないけど、やっぱり温かい。音楽って、その場所、その時間にその顔ぶれで、っていうひとつの現象になりきれちゃうんだな。