葛西へ

yokkobukko2011-08-12

フランスから友人が家族連れて里帰りしているので会いにいく。葛西来るのは一年ぶり。三度目なので、だいぶ土地感ついてきたような気がする。もし友人の家がなかったら一生来ることなかった街だろう。近所のデニーズでおしゃべり。Iちゃんはこの秋で二歳、おおきくなっている。普通に歩いているし、ちょっとしゃべる。かわいい。当然ながら全然忘れられており、ものすごいけげんな目で見られる。旦那さんのGとツールドフランス話。自転車話こんなできるひと、知り合いでこのひとだけなんで、なんでコンタはフランスであんな嫌われてんの、という疑問ぶつける。
そのうちにとくに意識するでもなく、食べ物の話に。原発事故から半年、この国のこの地域で生きてきたわたしは、いつの間にか、自分でも知らないうちにいろいろ変わってしまっているのかもしれない、と思った。放射能汚染に対する危機感において、ずっとフランスにいたY木さんとものすごい温度差があった。乳幼児に水道水はよくないんじゃないの、とか肉も気をつけたほうがよくないか、とか、魚はお勧めできないなーとか、青物も気をつけて(なんも食べるものないじゃん)という話になって、まったく無防備だったY木さん夫婦を、ものすごく不安がらせてしまった。ご両親はなんも気にしてない様子だという。そこではたと。もしかして実家のご両親の配慮とか台無しにしてしまったかもしれないと思いいたる。年に一度の二週間ばかりの滞在でそう神経を尖らせることもないのかもしれない。でもまだ乳幼児だし、用心しすぎてしすぎることはないと思うよとこちらの考えを伝えた。
Gからその判断はどこからきたのか、このさきはなにを参考にしたらいいんだ、といういたって理性的な質問受け、うまく答えられなかった。結局、科学的な根拠をもとめられてもよくわからないとしか答えようがないのです。ネットにはありとあらゆるバイヤスのかかった数値が発表されている。政府のもうけた暫定基準値とか、安全基準値とかを百歩譲って受け入れるとしても、そのチェック機能が信用できないしなー、そしてこの拠り所ない感覚を共有できないのは、この半年をどこで生きたかにもよるのじゃないか。
帰り道、向こうの両親の気持ちおもんぱかり、わたしものすごく悪いことしたかもとド後悔し、共通の友人S木さんに連絡、飲みながら話を聞いてもらう。やきとりやに向かう途中で偶然会ったT田さんもまきこんで。この半年をどう生きてきたか、とか話す。
今日まで一度も感じたことがなかったが、ああ、自分たちも被災者なんだなと強く感じた。
帰りの電車がBと同じだった。Bは東京駅あたりで飲んでいた。偶然。というかおたがい最終電車