最近のいろいろ

yokkobukko2011-06-15

英会話、義妹弟が仲間入り。にぎやかでおもしろい。我々の世代というのはしゃべれないけど、意外とポテンシャルがあるというか、基礎はできていると思う。(なんか書いてみてものすごいできるひとみたいでびっくり。自分も含めてです、上からでなく横から目線です)
翻訳のほうの仕事で校正ゲラのチェックをしている。出版社のひととか、赤ペン会社のひととかが、これ、ちょっと表現としてやばいんじゃねー?みたいにチェックしてきたものと闘うんだけど、わたしにとってはこれがほんとに疲れる行程で、むやみにひとりで興奮している。ときどき宙でぶんぶん腕を振っている。いつもそうだけど、回を追うごとに、というか最近めちゃめちゃ使用が厳しくなってきた、ちょっと過剰じゃないかというくらい厳しくなってきたのが、差別用語関連のチェックだ。慣用句なんかで、とりわけハンディキャップにかかわるものはもう完全にタブー。なんでだー!と最初は思うものの、これについてはたいてい直す。自分のなかの不注意度にも思い至るというか、うーん、できればほかの道をさぐろうという気になる。しかもこの作業、別の道を探る作業は意外と楽しい。ちょっとゲーム感覚。とはいえことわざなんかだとほんとに困る。意味だけ取るとことわざじゃなくなるんだよね。
しかしなんといっても職業、身分なんかにかかわるもの。もうその時代ではそうとしか呼べなかったものなんかを別の呼び方で、とお願い(いちおうお願いの形になっている)されると、困り果ててしまう。「女工」とか「女中」とか「召使い」とか。あと蔑称と判断されるもの「百姓」とか「老婆」とか。これもなるべく避けて、避けてと妥協しながらやっている。老婆もだめなの?きびしいなあ。
だけれども、強烈にぐぎっと拒否反応がおこるのは内容にかかわってくるチェック。これユダヤ人差別ですから、もっとソフトにとか、いっそユダヤ人って語を消しちゃってください、とか、そこへ至るともうそれ直したら、消したら、修正主義になっちゃうぞ、という。そういうのとは闘わないといけない。この非力な腕で。
ふーんふーんと鼻鳴らしたり、ぬーん、ぬーん、とひとりぶつぶつ言っている。そんな今日このごろです。
ぷひーっ!日々精進です。