ルノワール展

yokkobukko2010-03-28

朝コーラス。マタイ一部の終わりのコラールの続き。歌詞をつけて。このソプラノは美しいんですよね。やっぱリピエーノにこどもの声も欲しい。
午後時間たっぷりあるので、どこかへ行こうということに。はじめて行きました六本木の新国立美術館草間弥生のとげとげかぼちゃみたいな建物ですね、外から見ると。
ルノワール見た。ルノワール・・・ある意味鬼門というか、つまりわたしはこのひとがわからない。いろんなことがわからない。日本で人気がある理由はまだわかりそうですが、生前からけっこうファンがついてて、評価もついてて、いまや世界じゅうでもかなり人気がある、いや、すごい画家だと思われている、おおかたの世界で巨匠ということになっている、というのがわからない。ある一部のデブ専にとか、マニアにとか、知り合いにとかでなく。クオリティについてもわからない。どうも下手だと思うけど、それもどうだかよくわからない。なにしろこれほどクオリティのばらつきがあるひともめずらしいんじゃないか。デッサン力もだけど、なんというか絵としての力に。この展覧会だけ見ても、かなりのばらつきがある。いい絵もあるのに、うわー(あごがはずれ気味の感じで)、ひでーな、こりゃー、贋作、いや贋作ならもっとこう説得力持たせようとするよね、この素っ頓狂さは真作ゆえなんだろーかーと、Bと延々疑問ぶつけあう。なんなの!いったい!!たとえばルーベンスは下手っぴだけど、クオリティがおそろしく一定というか、つねにみなさんお望みの下手っぴをきっちり出せる、弟子にもきっちり出させる、そうなるとそれはプロフェッショナルですよね、しかも自信満々ですからね、やはり巨匠、いいんじゃないすか、巨匠で、文句ないっすよ、と思う。だからわからないのはルノワールなんですよ。今回もいい絵だな、と思ったのはあった。セーヌ川の洗濯船の絵とか、よかった。でもそれはこう、なんつーか、わたしの個人的なバックボーンとか嗜好に応じた喜びで、普遍的なクオリティとはちがう。果たしてそういうものがあるのかな、でも今日も多くのひとが彼のどの絵の前にもどっと押し寄せていて、うしろから聴いているかぎり、疑問の声とか、不満の声とか聞こえなかったし、個人的な喜びの声とかも聴く機会はなかった。聴けたらよかったんだけど。
オルセー美術館で死ぬほどりっぱな絵がうじゃうじゃなってる部屋の連なりに、うわーもういいよ、絵はもういいよ、うんざりだよ、とかおえーとなっているときでも、ああ、ちょっとほっとするわーという絵が一部屋にまあひとつくらいはあって、近づいてみるとそれはたいていルノワールだった、とか、そういう経験がある。
展覧会のおわりのほうにルーベンスの模写があった。ルーブル通って模写した一枚。正解だと思う。系譜としてはレンブラントではなくルーベンス、クラプトンでなくニール・ヤング
文学者とかに愛されたんだろうか?きっと愛されたんだろう。なんか文脈があるんだろう。絵描くのがものすごい好きなひとだったからだろうか・・・図書館でオルセー美術館のまとめたルノワールに迫るみたいな展覧会の図録があって、けっこうおもしろかった。フランス人にだって疑問はあるんだろ。こうだれか偉いひとに紐解いてほしい。
特別展で若手作家のアニメをたくさん見た。笑いました。