せたぶん、せたぶん

yokkobukko2010-02-14

またまた朝コーラス。調布へ向かう車のなかで、また小川洋子のラジオ聴く。今日取り上げるのは井伏鱒二翻訳の「ドリトル先生アフリカ行き」。実はわたしドリトルシリーズ未読だというとBも読んでないという。物語の結末、動物たちが去っていった先生を記念して先生の坐ったあとに石を置くというくだり、小川さんの話ぶりがあんまりうまいんで、情景ありありと目に浮かんで、一冊読んだようなゆたかな気分になった。あと邦訳出版にあたって、石井桃子がなんとしてもこれは井伏さん訳でと、なかなか乗り気にならぬ氏に熱心に働きかけて、その腰をあげさせた話や、Dr.DoLittle を「ドリトル先生」にした話おもしろかった。午後、世田谷文学館(せたぶん)に石井桃子展を見に行くつもりでいたので、シンクロニシティですなあ。
午後、予定通り、せたぶんで石井桃子展見る。
親の好み(またはその無頓着)のせいだろうけど、うちにあった世界の児童文学は、岩波少年文庫じゃなかった。多分にそのせいで、ほんとに最近まで、わたしは石井桃子という名前に覚えがなかった。それが展覧会を見て、あら、わたしけっこう、このひとのお世話になっている、と認識をあらたにした。翻訳やその周辺的な活動、文字通り縁の下の力持ち的活動を通して、二次的に三次的に。「いやいやえん」はいまだにずっとわたしのリアルな読みものだ。実家にもあるし、うちにもある。とはいえ、かつての日本のこどもでこのひとのお世話にならずにいることのほうが難しかったかもしれない。
すこし前にNHKラジオでイギリス児童文学の特集があったときに、昭和の児童文学のフィールドにおけるイギリス児童文学の勢力の大きさに、ちょっとあぜんとしたこと思い出した。たちまち自分の小学校時代、昭和五十年代ごろをふりかえると、教室や図書室の本棚においてイギリス児童文学の占める割合は実に大きかったと思う。プーさんもメアリ・ポピンズもピーターパンも秘密の花園もサミアッド(さみあどん)もホビットさんもアリスも・・・そのほかにもケネス・グレアムとか、ピアスとか・・・(もちろんピッピとかニルスとかトムとハックルベリーとか、もちろんもちろん他所の国のヒーローはいっぱいいたけども、圧倒的集団というか)。それってもしかして岩波少年少女シリーズや、福音書館の傾向の影響、ひいては石井さんの影響なんじゃないか、と思うと、感動とかでなく、ちょっと空恐ろしい気分になる。いまの小学校にはどんな本が置いてあるんだろう。
売店で、展覧会カタログと、こどものころに読み損ねた「たのしい川べ」と「ふくろう小路一番地」買った。