終わるとわかっていること

yokkobukko2009-08-23

ものはこわれる ひとはしぬ そういうわけさはにー
そう言い捨てられればかっこいいけど、実際そうするりとは飲み込めませんよ、ということかもしれん。
コーラス。練習後、このさきこの団をどうするといった趣旨の話し合いが持たれた。けど、なにも決まらなかった。賢明なひとびとは沈黙を守った。わたしは、とにかく二年後なら二年後、先生が去った段階で一度団を解散する、といまはっきり決めてしまえばいいと意見した。だってなにかを決めないと、具体的な対策がとれない。Bは、もし引き継ぐ意志がある人が現時点でいるのなら、まだ二年あるのだから、運営ノウハウの引継ぎの具体的な流れを、いま立てるべきだと意見した。すべてが保留となった。結局なにも決まらなかった。提示された先生の辞意をみなで確認したのみ、それに三十分もかかった。でも先生の決心は固い。それって事実上解散も同じことなんだが。もしかして言い表してはいけないのか。名前をつけたらいけない、みたいなことか。いずれ、みなかちっとした予定を立てたくないんだと思った。かちっとしてなくても予定という予定を立てたくないのかもしれない。年齢は関係あるかもしれない。
答えを急ぎすぎてるのかな、わたしは。Bにもちょっとそんなとこあるみたい。どうも、保留事項を抱えるの苦手だ、わたしは。こどもに童話を読んでやるとき、恐ろしい残酷な結末をソフトに変えたりしていると、そのこどもはそんな人間に、つまり、おそろしい秘密をかかえることのできない人間になる、なってしまうみたいなことを河合準雄が書いていたなあ。
空回りしたあとは、いつものごとく落ち込む。