また夏休みが

このごろは夏休みで一年をカウントしているようなとこあります。シロス行ってもう一年か、早いな、というぐあいに。
今朝の地震は大きかった。昨日は雨で今日は地震、どうにもなりませんよね、下の姑が「マグマの上に住んでるから」と言ってました。ツーリングにそなえて自転車掃除。チェーンのあいだのあぶらだまりが慢性化している。ツールのメカニックみたいに圧の高いホースで洗ってみたい。
村上春樹意味がなければスイングはない」ぱらぱら。なんで野球の本?と思ったら音楽の本でした。エルサレムの演説もそうだけど、このひとは小説以外の文章はものすごくわかりやすい。マルサリスの項、秀逸です。演奏も、歴史もぜんぜん知らない音楽なのに、細かい点まで、手にとるように、イメージでき、非常な親しみを覚える。笑える。つまらないとか、退屈とか、いうことも、チャームになるんだ。つまらないとか退屈の中身にこそ、書いているひとの豊さがでてくるからなんだけど。グリーンのパリもそうなんだなあ。退屈には、豊かな宝を発見する余地がある。
どういうかんじかというと、
わたしは地図見ないから、観光地歩いてるはずなのに、いつのまにか凡庸な界隈に迷い込んでしまう。凡庸というのはそのときの判断なんだけど、自分の記憶におりてって、そのときの凡庸な公園に立ってみる。不思議と、ほかの、わざわざ訪れた場所より、五感情報が多く残っている。ベンチ坐ると迫ってくる隣の建物の壁の肌、その壁にこだましながらふってくる人の声とクラクション、足元の砂のじりっとした感じ、鉄柵と花壇の土っぽい匂い・・・
死ぬ前に時間あまったら、退屈の記憶ひとつひとつを訪ねて情報をかきあつめてみたらいいかもしれん、もうひとつの人生以上の豊かな人生が組み立てられそう
・・・そういうかんじなんです。
マルサリスの項のどこがそんなだといえないけど、そうなの。