答えをさがすな

こないだ中途半端だったので、今日は自転車のチェーンを徹底的に掃除した。手がまっくろになります。しかしメカ、自転車ってメカですね。まとまりのないばらけた思考が、繊細だけど過剰のない機能、メカへ集中していく。
こないだ友人に、事象を洞察しそこねたような、ぜんぜんするどくないことを、あせあせしてこだわって話してたら、べつにそう答えを探そうとかしなくていいんじゃないの、みたいなことをいわれた。でも、そのときはほんとうに答えなんて探してなかった。んですよ。スタジオボイス相対性理論特集読んで、そのせりふ言ってやるべきはこのひとびと(原稿を寄せたひとびと)にじゃないか、と思った。出題されてると思ってるのかもしれない、強迫観念のようなものか。かといって、答え合わせができるような解答を探すんじゃない方法で、長く長くものと対峙する、って、具体的にどういう方法があるんだろかあ、と途方に暮れもする。とこんなふうにこんがらがるのは、昨日から読んでいる村上春樹のせいかもしれん。「観察して、観察して、更に観察して、判断をできるだけあとまわしにするのが、正しい小説家のあり方なんだ」と書いてあった。