雲見で意外と運動する

yokkobukko2009-05-04

朝5時ころ目覚める。なにしろ昨夜の8時くらいから寝ている。木造の物見やぐらのような台のてっぺんにある露天風呂へ。見晴らしがいいとかいうより、空に近いのがいい。こう、ものすごい高いとこにちっさいけど風呂をつくった!ってとこに、ロマンがあると思う。岬に突き出た小山のてっぺんを眺める。てっぺんのてっぺんに人らしき影が。あの山登れるのか。海から山から風が吹いてきて気持ちいい。風呂上りに二度寝。朝飯食ったら、本もっておでかけです。ちかくの釣具やでシート買う。とりあえずは小山のてっぺんを目指す。神社から上るというか、山全体が神社であるらしい。上り口に大きな雲見神社があって、あとは小さい祠がてっぺんにむかって二つ点在するらしい。最初の神社を越えてからが男坂。てっぺんのほうまで一直線に石段が続く。あんな長い石段はじめてのぼったかも。ヤコブが見たのもこういうのではなかったかと思う。通例ではこういうのの横に女坂とかあるんだけど、ここはもう一本道。クライミングといってもいい斜度でした。てっぺんの小さな祠(のちにこちらが本殿と判明)の裏にまわると小さな階段が続いていて、ほんとのほんとのてっぺんに京間で一畳ほどの展望台が設置してあるんだけど、階段の取っ手は朽ちて破損しているし、てっぺんの欄干もいまひとつ信用できない。のに、なぜか次々と登山者が到着して、このせまい空間にのぼってくる。もうぜったい定員オーバーですって、降ります、降りますから、とか静止するのに、おじさんおばさんの集団がぞろぞろのぼってくる。生き物としての本能とか衰えてんだろう。祠に降りて、集団が去るのを待ち、誰もいなくなってふたたび展望台へ。恐怖というのは不思議な感覚で、ふわふわして焦点のあわないときは少しも怖くないのに、ある瞬間、ふっとピントが合ってしまうともういっぺんに恐ろしくなってしまう。今日の場合は、Bにカメラを渡され、ファインダーを覗いた途端に、高さと場の不安定さに、ひやあと肝が冷え、怖くなり、へなへなと力が抜けた。 その後は、下界に直行するでなく、行きに見つけた神社の境内の横っちょの松原のあたり、
海に開けた崖の上にシートを広げてのんびり 
釣具やさんのやっている食堂で昼飯。わたしはカレー(とビール)Bは磯うどん。
午後は、となりの岬にあるという露天風呂へ行ってみよう。宿で渡されたイラストマップには遊歩道とあるが、完全な獣道を半時間ほど行く。海辺にコンクリートの骨組みだけになった廃墟のようなものあり。ほんとに露天風呂だ。が先客あり。おじさんが出るまで海辺で甲羅干し。しかしおじさんはいつまでもいつまでも出る様子がない。次の客(バイク青年)がやってきて去って、おじさんは出る様子なし。あきらめて雲見に戻る。帰路は道路で。景色もよいし、はるかに近かった。カーブを曲がったところから雲見を見渡す。
                  
はしからはしまで一キロもないだろう小さな入り江の真ん中に水門。広大なとか、手付かずの、といった形容はあたらない。商店があって、ダイビング学校があって、漁師さんがいて、海水浴客がいる。でもほどほどに。昨日はおもいで岬とかいう高台から夕日にうっすら消えかかる富士山のてっぺんを見た。
午さがり、高台の松原でのんびり。その後は夕顔がはびこる浜にシート敷き、肌寒くなると、シート持って日向に移動。温泉。夕餉はまたまた豪華かつ旨かったです。