「これは自転車の本じゃない」(長文)

yokkobukko2009-03-19

ランス本読了。学校が推薦する図書はこういうのがいいや。文学は、ひとに薦められて読むもんじゃないし、かといって漠然と前向きな啓発本も気持ち悪くてご免だ。だからこんな本はすごくいい。正直で気取りがない文体もいい。これはぜったい偉人伝じゃない。闘病記ともちがう。なんだろ・・・人間の本だな。
ランス・アームストロングというのは、前人未到ツール・ド・フランス七連覇を成し遂げた鉄人、スーパーアメリカンだけど、本人の言うとおり、なによりもまず癌からの生還者だ(実際、総合選手としての彼の大躍進はカムバック後のこと)。彼が事細かに記録した癌との闘いは壮絶でショックが大きい。なによりその過酷な闘いがトップアスリートのために特別に用意されたものではないという当たり前の事実が、いちばんショッキングだ。誰もが癌になりうるし、誰もがランスと同じ過酷な闘いを強いられうる。そうなればそれまでの社会的プロフィールも、本来自分のものだと信じて疑わなかった身体能力も、アドバンテージもすべてはぎとられ、無力に近いところから闘いをはじめなくてはならない。それが誰をも特別扱いにはしないという点では、こどもも例外ではない。まだ年端も行かぬ小さな子どもたちであっても容赦はされない。しかし、さらに驚くのは、癌との闘いにおいて、こどもは大人より必要なものを備えている気がする、というランスの所感なのだった。こどもたちは恐れを知らず(こどもは生存率20%に打ちひしがれたりはしない)、たくましい。つまり勇気を持っている。見てきたひとの言うことはつねに予想を超えている。
この本の山場が抗癌治療にでなく、その少しのちに置かれているという点も、意外であり、そこに真実の重さを感じる。癌から生還したランスが、パリ・ニースの(まさにこないだラボバンクが決死のチームアタックをくりだしたような)悪天候のステージ中、自転車を道端に置いて帰ってしまうくだりだ。死の淵からせっかく生き返ってきて、自分はいったいなにをやってるんだろ?こんな寒さと苦痛のなかで自転車に乗ってることになんの意味があるんだろう?
こっからのリターン、彼が自転車に戻ってくるくだりが劇的で、いやあ、できすぎだろ!とつっこみたくなるのだが、それは事実であって、それが事実ってとこがやっぱり感動するとこなんだ。

最後まで読んで、やはり、ランスの短気で自己中心的な面は最初から最後まであまり変わってないように思える。このひとのお母さんは、そして奥さんはたいへんだ(実際、たいした人々である、ランスよりも稀有な存在かもしれん)。ただ、それ以上にあとから表面に現れてきた彼の人間性の大きさが、それをもうちっぽけな欠点にしていることに感銘を受ける。これってすごく希望のある話だよな。ひとは本来、自分が考えているよりももっとずっと大きく、もっとずっと立派なんだ、とランスは言ってます。