ひとにあう―広島篇

yokkobukko2009-01-03

箱根駅伝復路を最後まで見て家を出る。今夜は遅くまで飲むし、明日の出発は早いので、広島駅のホテルに泊まるのだ。実家よ、お世話になりました、ではまた。
今日は友人KMさんと、Bの大学時代の友人K原くんと会うつもりだ。KMさんの友人の蕎麦やのMさんが、それならうちで飲めばいいと提案してくれた。向こうは向こうで客を招んでおり、料理、酒、持ち寄りの合同新年会のようなものになった。集まったのは我々四人と、Mさん夫婦とその息子くん、Mさんの友人Y木さん、息子くんの友人3人で、まだ日のあるうちから飲みはじめる。うまい料理があって、酒があって、歌があって、踊りがあって、猫がいて、贅沢な新年会でした。シタールのごとくギターを鳴らしたい、というMの息子くんに伴奏してもらって、わたしも一曲歌った(エンケンのカレーライス)。Mさんとのおしゃべりは緊張した。出会ったひとに、品定めをされてるように感じるのは、自分がひとにそれをしているからなんだ、と思う。あしたのジョーの「両手ぶらり」みたいに、話し相手に完全に身をゆだねてみたいが、いまのところはできそうにない。
宴たけなわ、無礼講ありというころ、息子くんの友人○君をめぐってちいさな出来事があった。なにかの拍子に、プロを目指すギタリストの○君に、一曲なんか弾いてもらおう、みたいな流れになり、みなが一斉にそれを期待する感じになったが、○君は、弾けない、とかたくなに断った。こういうのは深追いはしないのが大人のルールなんだろうけど、彼のそのかたくなぶりに、このまま弾かないと、この子はけっきょくギターやめちゃうんじゃないか、という観があって、たぶんそれをそこにいたみなが感じ、とにかくなにか、なにかしら弾かせようという空気になり、結局息子くんと、もうひとりの友人が助けるかたちで、その子はブルースを一曲弾いた。弾いたが、彼はものすごい落ち込んだ。
その姿が意外なくらいわたしを爽やかにさせたんだよな。ずっと忘れられそうにない感じ。悪い姿じゃなかった。むしろ輝くような姿だった。けっきょく、わたしはなににそんなに心打たれたのか、とずっと考えている。そんなふうに自家中毒的に、迷ったり打ちのめされてたりする若さの塊みたいなものが、まんま自分のなかにあることが嬉しかったのかな。