最終日

マドリッドの朝、スペイン最後の朝。
  
ホテルは前回と同じ。前は中庭側のまったりシックな部屋だったが、今度は道路側の明るい木漏れ日の部屋(料金は同じ)。しかし食堂にもレセプションにも前回と同じスタッフがひとりもいないってどゆことかしら?今回のスタッフはみな英語ぺらぺらでスマートでクール。そのせいか、なんか少し冷たい感じ。いや、こういう印象はこっちの精神状態でずいぶん変わるものだ。きっと疲れてきたんだろう。スペイン語も崩壊気味。
さて、帰りのフライトは夕方遅い時刻だから、わたしたちには、まだ、ほぼ一日、残っている。といって、いままでの印象を薄めたくない。なるべく気の抜けた観光をしようと心がける。しかしながらマドリッドはヨーロッパ有数の芸術の都。油断すればなんか深みにはまるに決まっている。たとえば、プラド(美術館)なんてぜったい行ってはいけない気がする。美術館は行ってもひとつにしよう。
選ばれたのは、王立サン・フェルナンド美術アカデミー、入場料3ユーロ。
 
うーん、丁度よいゆるさだな、ゆる〜ゆる〜、閑散とした館内をゆっくり見てまわる。目玉が少ししかないっていいよね。ベラスケスの娘婿の絵とか、普段はスルーするような横のキャプションまで電子辞書片手に読んでしまう。
ここの目玉はスルバランかな。うん、スルバランてなんかいいよね。Bちゃんお気に入りの画家なのだが、この展示室にはふたりもスルバランがいるよ。あれ、僕が好きなのどっちだろ、と意外とあてにならない。神の子羊(アニュス・デイ)、この絵がいちばん好き。こっちのスルバランだな、やっぱり、とふたりで納得。
あとはルーベンスの絵で大笑いして(ありえん下手さだった)、知らない肖像画家の知らない貴族の絵をたくさん見たりして、いい感じで旅のテンションが下がっていく。ゴヤの部屋もある。やっぱこのひと上手だわ。うーん。
館の左翼でやっていたこじんまりとした特別展がよかった。戦争とはなにか?みたいなテーマで、ここのコレクションのゴヤの銅版と、その銅板を展示。うーん、やっぱ、このひとは。誰もが知らぬうちに踏み潰してしまっているような、打ち捨てられ、打ち拉がれ、地を這いずるような小さきものどもに注がれるこのひとの視線というのは・・・いかん、やられたかもしれん。
これ以上、心を持っていかれてはたまらん。もう、美術館はおしまい。
おお、下界は眩しい。暴力的な夏の日射し(実際、肌が痛い)。サングラスかけても目が開かない。眩しくて、道端のキャシュディスペンサーのモニターがまったく読めないから、操作を間違ってしまう。いらいらいらいら。きいー、なんでこんなとこに機械を置くんだ!とB激怒。しかも暑い。感じのいいバル通りにやってきたので、まずはどっか入りますか。
道端から鉄板前にいるおやじと目が合う。なんかいい笑顔だったのでここ。Bはサングリア。わたしはカーニャ(生ビールの小)。おつまみはマッシュルーム炒め。つきだしのポテトも旨い。生小おかわりして少し落ち着く。
   
トイレのある二階がかわいかった 
バルのはしごもいいかもね。勘定は千五百円ほど。やっぱ、マドリッド、少し物価高いかな。そのまま旧市街へと流れていく。
ここでまた悪い病が再発。旧市街にだって中華はあろうよ。すぐにふたつ見つかるが、ふたつともランチはやってないようだ(いま思えば、時間が早すぎたのかもしれない)。そのままどつぼにはまり、回廊になったマジョール広場をめぐりながら、小さな通りをいちいち覗いてまわる。はっと気づいたときはBちゃん例によって貧血状態? シックな回廊の一角にへたり込む。はっ、そういや、しばらく無口だった。もう中華はいいよ、さすがに三度はいい、とかぶつぶつ言っている。なら最初に言え、みたいな感じで、仲間割れ。まただ、またやった。なんか毎回、同じことをやってんだ、わたしたちは。
ちょうどBがへたり込んだ場所の裏手が老舗風のシーフードレストランだった。さほど腹は減ってないが、とりあえず静かでゆっくり落ち着けそう。入るとなかなか貫禄のあるえんじの服のじいさんが、糊付けされた真っ白なクロスのかかるテーブルに案内してくれる。給仕は5人ほど。じいさんしかいない。ジジ専といってもいいだろう。よく見ると、えんじ色のジャケットと、白ジャケットの爺さんがいる。えんじがメニュー案内、白が給仕だろうか? いまどきらしさひとつない、昔のレストランという感じ。電子辞書でメニューと格闘。蟹やら海老やら手長海老やら、なにがどうちがうんだ! グラムで注文するのだろうか、システムがよくわからない。当たってくだけろ、なんでも訊いてみればいいんだよ。えんじのじいさんが寄ってくる。なるほどこのひとがメニュー選びにアドバイスをくれるわけだ。定食はとても食べられないし、結局、適当な蟹(なんかスタンダードっぽいやつ)を食べることにした。250グラムとか、そんな頼み方でいいっすか?と訊くと、かしこまったっつー感じで引っ込んでいく。こんなんでいい?とボールに蟹を二匹のっけてくる。三百何十グラムだけど、とメモを見せてくれる、なるほど、一匹、二匹とか、小さめ大きめとか頼めばよかったんだね。じゃ、わたしはそれとガリシア風スープ、Bは白アスパラ、それにハウスワインもお願いします、あ、ワインはハーフお願いします。
  

ガリシア風スープはお豆の入った緑のスープ。塩味であっさり。
 蟹とフィンガーボール到着、見た目は迫力だけど、食べるとこはあんまない。味は、まえに広島で食べた団扇蟹というのに似ている。鄙びた海の味がする・・・・まあ、蟹は日本のが美味しいんじゃないでしょうか。
デザート、わたしはなんとかいうチーズ。Bは自家製カスタード。
    
あほか!ってくらい、でかいチーズの塊と、その横に羊羹?いや果物のういろう?のようなもの(あ、これはスペイン語のJ先生が前にお土産で呉れたやつだ)。いっしょに食べると、これまた素朴な味。美味しいとかでなく。なんか、なんだっけこれ、という。
白やらえんじやらが交互にやってくるからどっちにコーヒーを頼んだのか混乱するが、コーヒーの前に、えんじのジジイがやってきて、冷凍庫から出してきたふうの霜のついた小さなグラスをふたつと、黄色と茶色の液体の入った瓶をテーブルの上にどんと置く。これなんですか?と訊くと(食後酒なのはわかるけど)、ふっ、なんだろうね? と不敵に笑う。かっこいいけどね、じいさん。
もちろん、それは強烈に度数の高いアルコールに決まってるんだけど、期待されてるみたいだし、ふたりして口にふくんで、しかめ面をしてみせると、よし、それだって感じで、えんじはふむっと頷き任務完了してクールに去っていく。コーヒーを持ってきた白も、しかめ面でちびちびやるわれわれを見て、いかにも満足げなのだった。ジジ専レストラン、流行るかもしれん。
ちなみに黄色はアニス、茶色はチョコの味 
           
           結局、勘定的にはこの旅でいちばん贅沢な店だった。