シロス二日目

ぱちりと目覚める恐怖。どうかもう朝でありますように、と時計を見る。4時。昨日よりはましか。窓を開けると星が出ている。おおお寒い。そうこの村は寒いんだ。事前にあんなに心配していたくせに、結局セーター一枚持ってきていない。毛布にくるまる。とにかく5時までは静かに横になっていよう。トイレに行ったり、テレビつけたり、なんだかんだしながら朝を待つ。6時ごろ、入り口の扉の張り紙に気が付く。ふつうそういうとこには料金表が貼ってあるのだが、よく見ると、それは修道院の礼拝の時間割なのだった。夜10時の終課まで、ぴっちりと予定が書いてある。今日は8月15日、聖母被昇天の祝日。祝日の朝課は5時半*からとある。しまった、礼拝に行けばよかった、と後悔。そうだよ、昨夜だって聴こうと思えばいくつかの礼拝が聴けたんだ。よし、次のラウデースは8時からだな。朝ごはんが8時半からだからちょうどいい。さっそくお風呂に入り身支度をする。
ちょっとSFちっくなシャワー
風呂嫌いのわたしも、つまみをいじって遊んでいるうちにゆっくり温まることができました。
少し早めに部屋を出る。吹き抜けになった入り口のホールはまっくら。
自分で電気をつける
厚く重い木の扉を自分で開けて外に出る。外はようやく明るくなったばかり。まだまだ白んだ感じが残っている。8時からったって、教会にはすぐに着いてしまうのだ。ものの一分もかからない。いったん教会へ行って、ナルテックスに表示してある時間割でたしかに礼拝があるのを確認して、あまりの寒さに上に羽織るものを求めて部屋に戻る。といってもなにもないから、Tシャツを重ね着して昨日着ていたノースリーブのシャツを丸めて首に巻き、BちゃんのYシャツを借り羽織る。どうみても農家のおばさんだが、仕方がない。もうオシャレとかそういうの関係ない。
定刻1分前くらいに教会に入ると、暗いなか、前のほうに数人が片寄せあうように坐っている。ひとり一部ずつ用意された冊子を取り、我々も前方の席へ向かう。時間になり、ひとりひとりとアプシス奥の扉から修道士さんが入ってくる。みな祭壇に近寄り、深く一礼、左右の聖職者席へと散らばっていく。そのうちに鐘がなり、礼拝のはじまり。いきなりそれは始まる。グレゴリオ聖歌というのは、結局、聖務日課の礼拝すべてがそうなわけで、節をつけない朗読というところもあるけれど、こう、どこからどこまでがそれ、というものではないのだな。誰かがアンティフォナを歌って、みなが決まった節で詩篇など(正確に記録していないのでわからないが、主に詩篇だったと思う)を朗唱する。よく見るとリーフレットには細かくレスポンソリウムを示しているらしきRという文字やVの文字が見えるが、最初はラテン語を追うだけで精一杯。もちろん意味なんてわからない。しかしながら、なんだろ、雑念消える。早朝の、シロス初のそれは、思った以上にするするこちらの内部に沁み込んでいくのだった。ぴーんと緊張してはいるのだが、湿気とお香でしっとりともしていて、ほんとちょうど朝露が服に沁み込むように、重力を伴ってこちらの存在を重くする、そういう響きなのだった。
8時45分ころ、ホテルに戻り、その足で食堂へ向かう。案の定、一番乗り。みな朝一に食堂に入って、飯を催促するなんて負けだ!とか思ってんのだろうか? いや単に夜が遅いから、全体にずれてくるだけだろう。
 
食堂のおばさんは愛想のいい、やさしいおばさんだ。テーブルの上には菓子パン。果物はセルフサービス。おばさんにはミルクコーヒー(カフェコンレッチェ)を頼む。いっしょにトスターダ(パンのトースト)とジュースもやってくる。うまい。元気になります。コーヒーお代わりして部屋に戻る。
次はなにをしますかね? 今日は休日だから修道院の回廊は夕方にならないと開かない。美術館も今日は休みだろう。村の売店もみな休み。そして銀行はひとつもない。あったって休みだし。現金の持ち合わせもほとんどない。あったって遣うとこもないのだが。そうはいえ帰りのバス代確保しておかなければ。できればカードで生活したいが、この村でカードは使えるのだろうか、一抹の不安。ともあれ次の礼拝は何時だったかな?昼は被昇天祭のちゃんとしたミサがあるはず。なんにせよ時間だけはたっぷりあるのだ。のんびりすればいい。部屋でごろごろ。せっかくだから洗濯も。

注*あとで村のパンフレットで確認したところ朝課はつねに6時からだった。平日と祝日で時間がちがうのは賛課とミサでした。だから記述は記憶のまちがい