びっくりのつづき

翻訳していればどうしても誤訳はでる。でてしまう。
見つけたら直し、指摘があればその都度、平伏して、謙虚に、地道に直していくしかない。とにかく「よくしていこう」という目的を見失わないことと、開かれたコミュニケーションの場があるのが理想だ。そういう理想的な場での、誤訳の指摘はつねにポジティブに機能するはず・・・
この件についてコメントしているサイトをいくつか見たけど、いちばん共感したのは、内藤樹というひとのコメントだった。このひとまったく知らなかった。こういうひといるんだなーー。正直なひとだな。
このひとのことは、やはりこの件で胸がざわついている翻訳仲間がこんなひとがこんなこと言ってるよと、おしえてくれたのだった。ここ数日、この世界に属しているひとはみな落ち着かない、なにか悲しい日々を送っているようだ。

大雨のなか、どうしても午前中に済ませなきゃいけない用事ができ、とぼとぼ銀行へ向かう。雨は昨夜からずっと、もう相当量降っている。排水溝から雨水が渓流のごとくしぶきをあげて歩道にあふれだし、ゆるい勾配にそってあたりにひろがっていく。物質的刺激の割合がおおきいせいだろうか、雨ってほんと、いろんな記憶を喚起する。家で眺めるのもいいけど、たまには生でいやな目に遭うのもいいかも。
 義母に借りた須賀敦子