あれも本質で、これも本質

yokkobukko2008-05-31

髪きった。もこもこっとしたボブにしたかったのだけど、しゅしゅっとしたボブになった。
今夜はBちゃんがいない。昔の職場の仲間たちと、りぞなーれに行ってしまった。シャクだから、幼馴染のマンガ友Nといっしょに、吉祥寺のメイメイで、Bちゃんの大好物の酢豚を喰ってやった!はっはっは。
Nとはいつものようにたあいのない話をした。たあいないけど、いろいろと考えさせられる話。
最近、Nは「ふざけないでよ」と周りから叱責されることが多いのだという。本人はまじめに話しているのだが、真に受けてもらえないらしい。昨日もそんなことがあったという。「結婚したいな」と言ったのだそうだ。するとひとりの友人に「また、ふざけてるでしょ」と叱られ、もうひとりの友人に「いや、本気なら聴くよ、本気なら結婚相談所とかあるんだし」と大真面目に返されて、こまったらしい。「わたしのまじめはその中間にあるんだよ」とN。そうなんだろうな、と思った。

わたしのケース。わたしはなぜか昔から、ある種の人々に受けがいい。「かわいい、かわいい、よちよち」と頭をなでられたり、愛玩動物のようにかわいがられたりする。「得してるよね、要領いいよー」とNに攻められ、わたしも「そうかも」みたいな感じで軽く肯定したけれど、どうなんだろうか。つまり、それ(その批難)を全面的に肯定しようとすると、ウソになっていく。なぜなら、ある種の人々の「よちよち」気分の事情というのは、わたしにはとうてい分かりえないからだ。そしてこっちのほうが大きいが、その人たちの言う「かわいい、かわいい」面がわたしにあるのは本当なんだろう、ということ。「よちよち」と頭をなでられて、半分は泣きたいけど、半分は安堵している。この目盛りがどちらかに極端に振れると、ウソがはじまる。
偽善、偽悪もこの類のウソだろう。
そういうのも本質で、そういうのじゃないあれも本質、というように、捉えられた本質を、そのまま放置しておけばいいんじゃないか、と今日は思った。
今日も雨。晴れって感じを思い出そうという試み