ラテン語

yokkobukko2008-05-17

半年ほど前からラテン語を学んでいる。東京にはラテン語を学ぶ場所はいくつかあるが、わたしはアテネ・フランセで日本語での授業をとっている。そもそもはコーラスの歌詞を理解するためにはじめたのだが(モーツァルトのミサ曲はラテン語なので)、課題曲が移行して、歌詞がドイツ語になってしまったため、いまはなんのためにやっているのかわからない。まさか、これに加えてドイツ語をはじめる余裕はない。ただでさえスペイン語ラテン語の平行学習をもてあましている。似てるからまじるんだよね。
ただ、ラテン語は好きだ。もともと理屈で勉強するタイプだから、理屈の通った言語はみんな好きだ。フランス語も好きだけど、ラテン語はもっと好きかもしれない。名詞や形容詞にまで変格があるのには最初笑ったが、考えようによっては日本語に似てるかもしれない。六つの格を、は格、よ格、を格、の格、に格、で格、と置き換えると、ずいぶん気分が楽になる。最初はこんなふうにして、自分なりに格というものの感じに慣れていった。とにかくこれがあるおかげで、なにがなににかかっているかがわかるのだから便利といえば便利なのだ。フランス語よりは圧倒的に迷うことが少ない(理屈としては)。
で、今日久々に(先々週は祭日休講、先週はまだ空のうえだった)その授業に出てきた。あまりにも難しいことに直面すると、人というのは笑ってしまうのかもしれない。この授業、内容の難しさと反比例して、とてもなごやかなのだ。生徒の年齢層が高いことと、みんなが同じ苦しみ(楽勝で授業にでてるひとはいないと思う)を共有しているせいかもしれない。みな、つねに抵抗感や重圧をおぼえながら、きりたった岩場をよじ登っている。とにかくぜんぜん余裕がないから、うしろに下がって対象を眺めるとかはできないし、滑落しないようにそれにへばりつき、擦り付けるように舐めるようにそれを、その岩肌を近視眼的に見つめるばかりだ。
まあクラスがなごやかなのは、多分にY田先生のキャラもある。おそろしく博識で、偉い先生なのに、ぜんぜん偉ぶらない人なので、ほんとに感服する。