かぐや姫の物語

ずっと更新してなかった。
先週末にモローのコンサート終了。無事かどうかはわからない。風邪ひきさんが多かった。ただ気持ちよかったな。ライブ楽しめた。パートリーダーのモモさんに迷惑かけまくりというかおんぶにだっこの一年であった。義母が「となりで歌っていたひと、ずっと怖い顔だった」と言っていた。そんな怖い顔させていたのは、わたしです。次回はもっと歌えるように、少しは頼りにされるようになっていたい。
さて、放心し、脱力し、燃え尽きたので映画いきました。
かぐや姫の物語」言わずとしれたジブリの新作です。パヤオではなく高畑さんの新作。
ひとことでいうとすごかったです。今年はわりと映画見たほうだけど、今年いちばん衝撃受けた映画です。こないだ宇多丸というひとが、ぜんぜん心が揺れないから、デートの前、ホテル行く前に見る映画としてはちょうどいい、と言っていてびびった。文化的若者に絶大な影響力を持つひとだと聞くが、女性の心はまったく読めないひとなのだろうか。あんた、これ見てホテル行ったら、つか、ホテル行く前に恐ろしいことが起こるんじゃないか、恋人の心はむやみに揺れまくっているぞ、声のない嵐が吹き荒れているぞ、と思うのだが。うーむ。もしやジェネレーションギャップというやつだろうか。ある年齢以下の世代はあのおそるべき表現に対する感受性がないのだろうか。いや、すごく普遍的なアプローチに思えるけどなあ。
衝撃というのは大げさではなくて、まずヒロインのありように驚く。アニメとしての表現ももちろんですが。もう物語はかっちり古典の「竹取物語」でして、これからは逃れられないのです。ヒロインもがっちりその運命に囚われていて、がんじがらめになっている。ところが、ヒロインはそこからの脱出を心理的にも物理的にもなんどか試みる。もちろんすべての試みは月によってなかったことにされる、修正される、白紙に戻される。
ここで、はて、月というのは、なんなのでだろうか、と思うわけです。原作では月で罪を犯した姫が地上に下ろされるのだけど。月というのは、たぶん、この泥にまみれた地上よりステージが高い、業やら情念やらからは解放されたおそらく凄然とした秩序の世界なんだろうと思う。おそらくは生死を超えた、か、死の世界といってもいいのかもしれない。そこで犯す罪ってのは、誰かが言ってたみたいな情念の所業とか不倫なんかではあり得ないと思うんですよね。秩序を乱すことか、望んではいけないことを望むこと、なにか停滞か、後退を招くこと。たとえば生に憧れるとか、泥にまみれて生きることに憧れる、ではないかと思う。
翁と媼はどうかというと、運命の・・・あ、時間なくなったんで、また今度書きます。