過ぎてったいくつかのこと

yokkobukko2011-07-10

土曜に映画を観ました。「100,000年後の安全」。フィンランドで建設のはじまった高レベル放射性廃棄物最終処分場をめぐるドキュメンタリー。とにかく設計完成に百年以上かかるそれは、ひとたび処分場として放射性廃棄物を格納すると完全に、永遠に近いかたちで封印される(らしい)。目下の構想では、それらの廃棄物が生物に対して無害になるに要する十万年、その期間は耐久する施設になる(らしい!)。
そういうお話。興味深かった。お姑さんとふたりで見たが、ふたりでついたため息の数はかぞえきれない。映画としてどうかはわからないが、題材として相当におもしろかった。もちろんのこと日本とはまるで事情がちがう。というか、かなりのステップ先へいっているひとたちの、あーでもないこーでもないというやりとり。先いっているというのは、まず現時点ですでに地球上に20万から30万トン(とかいっていた)の放射性廃棄物があるという事実を認めている点、再処理はやらないと決めている点で、その点からして日本が落ち込んでいるジレンマからはすでに抜けている。おまけに気が遠くなるくらい昔から地震がない、比較的安定した地盤を持っている。だからまあ、これをお手本に、日本はどうするか考えるみたいなことにはならないけど、それでもおもしろかったな、10万年先の人類(それに類する知的生命体)とどうやってコミュニケーションとるんだ、とかいう心配は・・・すでにSFの想像域を越えて、レジェンドに達しちゃっている。そういうレベルの、神々の時間割で大罪を犯すというか、負の遺産を遺すことになっちゃってるんだな、我々は、というそこだけは国関係なく、それもうやっちゃってんだよなー、という実感、いやちがう、認識、をしました。この映画で。
もう重大すぎて、針が振り切れて、重さもスケールも感知できないような、聖書にもう一章増やすべきかもというような、おおごとだ。まさか自分たちがパンドラの箱を開けるほうでなく、閉じるほうになろうとは・・・
映画の上映といっしょに飯田哲也という科学者といっていいのかな、そういうひとの講演があった。このひとの宮台真司との対談集を買って読んだ。聴き手の宮台氏の発言がまぎらわしく、気が散るが、それでも本の容量の何分の一かには、たしかにかなり面白いアイデアや、小出さんからは決して得られない希望というか、暫定的道ゆきのヴィジョンがある。このひとが実際家であるゆえんかもしれない。本人も自分のことを空気が読めると言っていた。飯田氏のようなひとは、いま日本に必要とされているひとなのだろう、テレビにもいっぱい出ているらしい。
しかしわたし個人としては小出さんのような学者が好きだ。