ダークサイドあるいはB面

個人的には、かなりダウンした。直接医療にかかわるBやSさんとあまりにも精神レベルがちがうんだと思う。感受能力というべきかな。空いた時間に津波被災地を、石巻港日本製紙工場の周辺一帯、東松島、野蒜、それから女川など。視察してまわったときにも如実に感じたけど、堅固なものもたおやかなものも根こそぎにされ、360度廃墟という町に入って、あるいは走っても走ってもかろうじて形骸を残した空っぽの住居しかない、ひとの気配のまったくない集落のあいだで、感受性が機能しなくなった。まったく無感動というような状況にある自分に、むしろものすごく驚いた。記録写真を撮るBとSさんと運転手のKさんが遠くにいるような感じ。医療の現場で日常的に死と直面してきたBやSさんと、わたしの感受性はまるで機能のしかたがちがうんじゃないだろうか。ふたりはほとんど時差なくリアリティというもの、そのものを感受して、自分の経験に取り込んでいるみたいだった。わたしはというと、そうして無感動のままその場、その場を通り過ぎていくんだけど、物理的に体が重いような、なんかそれきりずっと浮上できない沈みっぱなしの部分がどんどん残っていく溜まっていく感じで、これがこのさきどうなるかわからないから不安だ。日頃、自分という容れものについて考えたことないけど、はいりきらないもの、入れてはいけないものを無責任にいれたかもしれない。ありえない形に曲がった鉄材にからみついた紙、パルプ、海藻、なんでそんなものがそこにというような混沌がそのまま。
こどもに被災地を見せたいと知人が言っていたけど、わたしがこの調子では、こどもはどうなってしまうんだろう、と思う。
被災したひとびとと関わるのにも、キャパシティの限界を感じた。とりわけ災害医療サポートが終わりつつあるいまこの時期のこのあとずさりしていく感じを、避難所の本部(管理運営をしている)のひとびとは冷ややかに見ている。いちぬけっすか、というような目で見られるのが、つらく、しきりと謝りたい衝動に駆られ、卑屈になりがちで、こういう時期のボランティアに参加するにはわたしはあまりに自意識が強すぎるんだと実感。反省しきりです。
総括として、プロはいいなと思った。プロの仕事には尊厳(あれこの言葉じゃないな)、相互リスペクトがある。うまく言えませんが。活動中はずっと松島のホテルに宿泊していたけど、このホテルにはいろんなプロが集まっていた。医療従事者、土木建築、警察、金融業、通信業、タイヤメーカー、朝、だだっぴろい会場でいろんなユニフォームのひとがご飯食べているのが圧巻なんだ。このときはなんかわくわくというか、非常に気分がアップする。