記憶喪失

yokkobukko2011-04-18

早朝に地震。腹がいたい。なにをしていたんだろう。記憶がない。
最近、エンケンじゃないけどテレビニュースを見ていない。バラエティも見ていない。テレビ見てると寝てしまう。サンデルさんの講義のことを考えていた。被災地での略奪や買占め、便乗値上げが起こらなかった理由は実のところなぜだろうか(買占めは起こったけど、きっとそれは比較の問題なんだろうな、カトリーナのときと比べてとか)。たとえば災害に遭って、いま飲むものも食べるものもなくて、まわりに助けてくれるひともいなくて、ひとりぼっちで(つまり周りの目もなく)、そこに無人になった商店があったら、わたしは略奪するかと考えて、ものは拝借するだろうけど、略奪はしないと思う。つまりレジに金を置いていくか、手持ちがなければ、拝借したものを紙にリストアップして自分の住所氏名、あとで請求してください、とか書き置きすると思う。たぶん多くのひとがそうするんじゃないかな。その理由は、そうしないと気持ち悪いからです。
これって、つまりは盲目的な、場合によっては過剰な秩序(オーダーというか、システムというか)への依存の現れだと思う。いま機能していると目で確認はできないけれど、どこかできっと日本という社会は機能していて、きちんと祭りごとが営まれているはず、という。だから、たまには略奪するひとがいても、そういうのはバグみたいな感じで捉えてしまう。でも、そもそもが無人のスーパーが永遠に営業再開しない可能性だってあるし(その場合、結果としてわたしの行為は略奪と同価になってしまうのだろうか)、そもそも日本っていう国もなくなってるかもしれない。それでいいのかわたしよ、と考えてしまう。そもそもわたしよ、おまえに個人の部分はあるのか、とも。

サンデルさんはじめ欧米人は日本で見られたそういう(略奪が横行しなかった)現象に、美徳という評価も与えていたけど、日本人はみなふーん、て無感動だった。評価って価値観を共有できないと意味がないんだな。それ、ドルですよ、って感じだろう。
だからサンデルさんが日本人を哲学的がけっぷちに追い詰めたいなら、ならどういう状況だったらあなたは略奪しますか?とかそういう方向なんじゃないか。