心は自由か

三重から義妹家族が一時的に戻ってきた。生ういろうなるものを頂く。せっかくだからいっしょに焼き肉。めずらしくゲームしてない甥っ子からダジャレシャワー浴びる。
疎開批判というのがあるそうだ。批判は心情的に理解できるが、批判的風潮というのがあるのだそうだ。お国のために前線で兵隊さんがんばってんのに、逃げ出すとは非国民め、みたいなそういうのがあるらしい。
ツイッターとかフェイスブックを媒介にした社会ではそういうのが形になりやすいのかもしれない。そもそも、こういう時期に敢えて意見を発するひとというバイヤスはかかっているはずだ。パニックになるまいとする過剰防衛が、別のパニックを招いているのかもしれない。
個人が思ったことを声に出す、批判なら批判を表に発するのは、疎開を選択するのと同様、自由だ(たとえそれが他人の心を傷つけることになっても)。個人の自由、おそろしいな、みんな荒野を一匹でさまようガンマンになんないといけない。
それにしても、それがむやみに増幅されて風潮とかムーブメントになるのは、はっきりと、気持ち悪いな。だから中東のネット革命がわたしには気持ち悪い。社会的空気って、気持ち悪い。この感じを説明するのは難しい。銃が有効でないような荒野で途方にくれるガンマンだろうか、へただな、たとえが。初期の村上春樹とか、そういうの表現するのうまかった。ちょうど「パン屋再襲撃」読んでいる。表題作はちょっとがたぴししてる。そうだ、こんな感じで村上春樹ってガタピシしてたよな、と思い出した。
象の消滅」しっくりきた。ごまかし最小限で、すごくいいと思う。このぐらいの飛躍、このくらいのたとえ話だと素直にしっくりくる、わたしには。
焼き肉食べ終わって外出たら、雪!寒いはずだ。