ゴッホ―日本の夢に懸けた芸術家(角川文庫)

先生の本が本屋の店頭に山積みに。
先週読んだ学術書をもうすこしビギナー向けにした感じ。といっても初出情報もあるし、前者にはなかったエッセンスも盛り込まれている。主要モチーフとしての橋の話が一歩踏み込まれていた。それと晩年、ガシェ医師とのつきあいの話が増えてた。それから結果的にゴッホの死の引き金引いたかもしれないテオとヨーの家での最後のエピソード、これは興味深かった。これがヨーの後悔になったかもしれないと先生はあとがきに書いていて、その後悔、自責の念が、膨大な書簡集編纂の動機になったかもと続く。
おもしろい見解だなーと思うのは、ゴッホくらいの天才は歴史上にまあまあいるし、自殺した画家は山のようにいるんだけど、それでいてゴッホを歴史的・特異・重要画家たらしめているのは、その膨大に残る書簡資料だという話。画家本人による自作の解説がこれほどまとまって残っているということに非常な意義があるという。
昔、夏目房之介つげ義春について書いた文に、インタビューして作品について質問したんだけど、本人はほとんど自作についての説明ができなかったという話があって、最後に漫画家というのは絵で表現するひとで、もし言葉で説明できるなら漫画は描かないだろうと所感が述べられていて、なるほどと思った。画家も同じゃないかと思っていたから、先生の挙げたゴッホの例が新鮮だった。
マチスとルオーの書簡とか、ほかの画家にもこうした例がないこともないんだろうけど、量も群を抜いているだろうし、質も出色なんだろう。
そもそもなんで手紙を書くかっていうと、それは手紙を書く相手がいて、手紙を書く必要が、というか伝えたい欲求があったからなんであって、それは書けば伝わるにちがいないと信じられたからであって、もしテオって存在がいなければ、そんな歴史的意義のでかい書簡は存在してなかったにちがいない。まあそもそもテオがいなかったら食ってけなかっただろうけど。
そう思うと、テオというひとはゴッホという画家と本質的に絡みついて存在している。血縁において、経済において、制作において、というかむしろ分かれて存在していることが異常形態という気さえしてくる。そんな異常形態で所帯まで持って、ヨーという要素、結果的に画家を歴史に残す重要なキーパーソンを関係の中に引き入れる。そして画家が死んだら、すぐ死んだ。このひとはなんだ?