佐野さんとK1さん

旅行の準備とかしている。ビデオの話をすると、今日がいつだかわからなくなるのだが、Bが書いておけ、みたいなことを言うので。ソングライティングという佐野元春の歌詞をあつかう番組に鈴木慶一がゲストで招ばれた前後篇のこと。
直枝さんもそうだけど、鈴木慶一もわたしにとったら音楽のひとなので、たいてい彼らの歌詞を無防備で聴いていて、それでときどき、うぐっ、入りました、みぞおちから、チャクラへズドンと、というふうにやられることもあるにはあるけど、基本は音楽といっしょにぼんやりとらえていることが多い。
だからこのたびの佐野さんの朗読に(慶一さん本人も言ってたけど)言葉としても喰えるな、と思った。音楽のひとの詞は、行から行へ移るときに、ジャンプがあるというか、断絶があったりする。言い切りとか、体言止めとか、そういうレベルでなく、こうずたっと。歌詞カードを読んでると難解なんだが、音楽聴いてると、これも妙だが、そこに隔絶を感じない。ところが朗読するとそこが浮き出てくる。そのささくれた断面が妙にかっこいい、と思えたのはなぜだろう。佐野さんのへんてこなリズムのせいではなかろう。
対照的にポエトリーリーディングなんかで読まれる詩にささくれた感触がなく、もったりと丸みを帯びたものを感じるのは、なぜだろう?読むひとのせいだろうか?
角川春樹が直枝さんの感性を褒めてたけど、それもこれに似た話なのか?
慶一さんが、パソコンで、歌詞カードになったときをイメージしながら歌詞を書くという話もおもしろかった。