逃げるってなんだ?

yokkobukko2009-10-16

昨日かな、もとF1レーサーの片山右京が自転車でポルドイ峠を攻略する、克服する、という番組があって、だーいぶ前、ジロのころからNHKの取材は知ってたんで、番組になるの楽しみにしてて、録画しながら見た。そんで最初はストイックとかとおりこして、もはや強烈なオプセッションにとらわれた精神疾患者、あるいはアドレナリン中毒者のようにしか片山さんを見れず、怖くてかなり退いてみてた。なにかというと、過去の自分を卑下し、弱かった、だめだったと強調し、これからはもっと厳しく戦わなきゃと言っていて、怖かった。怖いのがおさまって、あとでだんだんと思うようになったのは、F1の世界で、まさにスピードの彼方、生死の際のようなところでしのぎを削ってきた片山さんが、実は、そういう場所の、もっとさき、完全降伏するしかないような、自分の意のまったく及ばぬものにゆだねるしかないようなとこに、自分の命を果敢に投げ込んでいたことを、一種の逃げだったんじゃないか、自己放棄だったんじゃないかと考えるのは、理にかなっているというか、理解の範疇にあるな、ということ。そして、その罪(誰に対するかというと、たぶん自分に対する)というか、つけというか、負債を払いたい、贖いたくてしかたないって気持ちが、とにかくいま彼を動かしているんだろう、ということ。実のところは、わかりようもないです、そういうぎりぎりのことは。でもテレビが追って意味のある行動だったんじゃないかな。おもしろかった。