ふたたび旅へ

yokkobukko2008-08-29

幼馴染と三人で長野へ行く。この三人で旅行をするのは二年ぶりくらいかな。しかし天気予報では大雨が降る、というか、もう昨夜も雷雨で東京は大変なことになっている。当初、友人がマイカーを出す予定だったが、運転手のひとりでもあるわたし、へっぽこ運転手としての自覚十二分だから、変更を願いいれ、新幹線で行くことになる。
平日の新幹線、ぜったい坐れると思ったが、意外やサラリーマンが多く、高崎、次の駅くらいまで立つことになり、大宮のエキュートなる駅構内の派手な食品街で買った「角煮わっぱ弁当」も、結局、上田駅しなの鉄道のせまい待合室で開けることになった。まあ、これも旅の醍醐味、友人定番の母との喧嘩ネタをスパイスにかなり美味しく食べ、わたし的には満足。しかしながら長野では雨降ってないのね、というより晴れ? 山という山には積雲がかかってはいるが。これなら車で来れたかも・・・足がないので、とにかくホテルの送迎バスに乗るしかないわけで、不自由といえば不自由。結局車案をボツにした張本人はわたしだから、多少とも居心地は悪いのだが、あとのふたりがわりと平気でそれを責めてくるので、ぜったいこれが正解なんだと開き直る。
さて集団とは、みながそれぞれ、どこかで気を遣いあうものなのだ。で、この三人の場合、それぞれの気遣いポイントが他者と相当にズレている。だから互いが気を遣えば遣うほど、事態は誰の本意からもズレていく。そして、しばしば結局誰も望まぬところへ落ちる。こんなことを書くと、「あんたはぜったい誰にも気なんか遣ってないでしょ、気ままじゃん、いっつも」とあのふたりから叱られそうだが。いや、もうこれ以上気を遣うひとが増えたら収集つかないじゃん、という気遣い(笑)。
幼馴染がおもしろいのは、どんな大人らしく気取っても、そこに経験が伴われたとしても、すべてが無効というか、結局は丸裸で、もとあったようにしか相手を測れないところ。さらに、この三人の場合、中学二年のときにひとりの引越しを契機に、いったんばらばらになり、それぞれの人格形成を見てないからなおさらなのだ。
要するに、わたしにかぎっていえば、あのふたりといると、協調性ゼロの小学生に戻ってしまう(そしてたいてい気ままに酒飲んで、いちばん先に寝てしまう)。
  
ホテルは高原の温泉ホテルで、晴れていれば露天風呂から、食堂から、浅間山やその連峰を見晴らすことができたらしい。我々の滞在中は、雨ときどきくもり、たまに稜線が見えてくることもあったが、それも刹那のこと、みるみる靄に覆われたりして、最後まで絶景というものは拝めなかった。ただ、雲間から、靄のあいだから、垣間見える田園の風景というのは、浮世離れしており、夢に出てくる風景のようでもあった。
温泉は単純泉なのかな、無味無臭低刺激。いつもは狂ったように温泉入るまくるわたしがが、しゃべりに夢中で二回、ささっと入ったのみ。あと、時差ぼけのせいか、めずらしく最後まで起きていた。