奇跡の人最終回

わたしには好きなドラマと嫌いなドラマがあって、好きなものの理由はいろいろなんだけど、嫌いなものの理由ははっきりしていて、登場人物が(とりわけ脇にいる小さな人物たちが)物語によって不当な扱い、物語の進行のために犠牲にされている、こんな言い方をしてよければそのひとの人生が物語によって搾取されているドラマが嫌い、大嫌い、猛烈に腹が立ってくる。
たとえばとと姉ちゃんの務める会社の上司俳優の斎藤なんとかさんが演じていたあの人が、場面ばめんで時にヒロインに助け舟を出し、時にヒロインを奈落へ突き落す役割を与えられるのを見るはめになる。物語に必要なんでしょう。しかし斎藤さん演じるあの部長(かな)の人間性の踏みにじられ方はない。こんな野蛮な踏みにじられ方はないし、どうりであの俳優さんはいかにもぼんやりした演技をしていると思った。悲しすぎて、テレビ消したくなるし、消したとして、その怒りのやり場はない。

奇跡の人がすごいのは、お伽噺なんだけど、わたしたちの生きているこの現実世界から消しようのない、どうしようもない苦しみや、妬みや、負の側面と言ってかたずけられないような人の心のからんだ犯罪、それを犯す人間が、やはりその物語に抱合されている、という点なんだ。これは昔エンケンが言っていたことと同じ、だと思う。脚本家の岡田惠和氏はほんとに難しいことに挑戦していると思う。
犯罪者がそこで、その世界の片隅にいるという脚本を書くのは難しくないと思う。
でも、そこにそのひとは生きているか、そのひとはそのひととして生きているか、というとそうでもない脚本は多い。さっきも書いたけど本当に人間を踏みにじっていく脚本は多い。ダンプさながらに踏み倒し、なぎ倒していく脚本は多い。

岡田さんは、なんというかからまわりすることも多いひとだ。失敗するときもダイナミック。このたびももしかすると最終回一回前で終わってたら、結果として失敗になってたかもしれない、と最終回を見て、思った。
この最終回は、岡田さんの反骨精神をまことによく表している。と思う。
まず犯罪者がでてきた。一択はそのひとと対峙して伝えたいことを話した。これはすごいなあ。
そして最後のシーンの「楽しい」と「しあわせだ」。海ちゃんは心の底から湧いてくるそれを表現したくなったんだよね、そこを掬いとる目がすごい。
そして、一択の「しあわせだ」の絶叫。ハッピーエンドです。
ハッピーエンドを書こうとする岡田さんのそのあがきというか、その無茶をする姿勢、、、ここでまたやめよう。

ブログ再開したけど、なるべく思ったことを思ったところまで書く未完で、としたい。