ハエのち

「あんたイエスの弟子ちゃうの?」という、この「ハエ」ののち、それを三度否定したペテロがひとり、がっつんがっつん、うちのめされて、奈落に落ちていく場面、非常に好きだ。わたしにとってはここがクライマックスです。
あなたが好き、大好きなんです、あなたのためなら死んでもいいとさえ思ってんですよ!みたいな告白したとたん、いやあんたはわたしを見捨てるよ、とあっさり切りかえされ、まんまとそのとおりになってしまうペテロが、出口なしの底に落ちこんで・・・という場面。そこからのリターンの描写は、この長い受難曲のなかでもっともエモーショナルで、意外で、もっとも美しい場面だ。
でも、実のところ、ヨハネ福音書による、リターンの表現はもっと意外で、そして、なにげない美しさを持っている。それは復活後のお話になるんだけど、イエスがやたら唐突にペテロに「わたしのこと愛してる?」と聞く不可思議なくだりがある。そのたび、おそらくは怪訝なようすで「もちろんです、愛してるにきまってるじゃないすか」とこたえるペテロ。これが三度くりかえされる。予言成就に貢献する駒として犠牲になるひとびとの多いヨハネ福音書だけど、ここは、ここだけは、やさしい。ぐっとくるところです。自分が見殺しにしたひとに、そのひとにいちばん伝えたかったことを伝えられるなんて、これがいちばんの奇跡ではなかろか。